SUIRYO 翠陵 vol.84
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10SUIRYO 84淡路島観光ホテル 客室「夕なぎ」セトレ ならまち上村 私は、大学卒業後に地元淡路島に戻り「クイーン淡路」というキャンペーンガールをさせていただいたことが、職業選択の、さらには人生のターニングポイントになりました。ただ大学在学中は都会育ちの友だちを前に、自分から淡路島出身ということが言えませんでした。でも、友だちに言うと「いいやん!」と。私としては「いいんですか?」という感じでした。「クイーン淡路」に採用していただいてから、さまざまな講習会や勉強会に参加して淡路島について勉強をしました。今思えば、自分の故郷に自信が持てなかったのは、単に何も知らなかっただけだったんです。岸本 大学に入って自分の出身地のことで気後れするようなことはありませんでした。沖縄には、みんないいイメージがあるようで、学部でも私一人が沖縄出身だったこともあり、最初のキャッチとして「沖縄出身」はかなり使えたところもありました。ただ、神戸に来た当初は、会話についていけなくて結構大変でした。まず、沖縄に比べて話すテンポが皆早い!理解できない言葉もあって、会話の流れや文脈で、なんとなく意味を推測するしかなくて。自分でもはっきりと分からないまま友達の言うことを真似て、明らかにイントネーションの違う、怪しい関西弁を使ったりもしていました。この顔立ちもあってか知らない人には留学生に見られたこともありました。上村 4年間の神戸での生活では、大学での本来の学びとともに、社会体験的な経験がとても大きかったのは二人に共通していることのようですね。日常の学びとでも言えそうですが、コミュニケーションを通してさまざまな価値観を育んだり見直したりする機会を持てたことがとても有意義でした。20代で組織を束ねるポジションに岸本 弊社の事業内容には「地域資源の企画事業」「コンサルティング事業」があります。通常のホテル経営を専門とする会社というより、さまざまな視点や手法を持ったなかで「コミュニティ型ホテルの企画・開発・運営」という地域活性化の手段としてのホテル経営を目指す会社というところに興味を持ち、入社の動機になりました。そして、1年目から、接客を通してお客様と地域の生産者さんをつなぐ仕事に多くたずさわらせていただいていました。「セトレならまち」の支配人になったのも、公募の際に責任者になりたくて手を挙げた訳ではなかったんです。これまで培ってきた「セトレ」というブランドを新しい所に基礎から作り上げていくことに私自身が魅力を感じたのと、社長からは、これまで弊社であまり例のなかった、観光地のど真ん中に建つ新しいホテルで、私たちが提供するものの価値をお客様にどう捉えていただけるか、「挑戦」という意味も含めて若いスタッフ自らが主導していって欲しいという思いを伺ったことが決め手でした。「セトレらしいおもてなし」というお客様との関わり方を観光地の中で自分がどう表現できるのか試してみたかったんです。上村 私は28歳で嫁ぎ、同時に女将になりました。「何ができるの」「これまで何をしてきたの」という目で見られることを意識せずにはいられなかった時もありましたが、和装での立ち振舞いや、大学を卒業してからも茶道を続けていたこともあり、これまで経験したこと勉強してきたことが、今に生かされていると実感できました。そして、経営する立場として「今、何をすべきか」と考えた先に、他のホテルや旅館ではなく、「淡路島観光ホテル」を利用する明確な理由を誰にでもわかりやすく表現することがありました。釣りが好きな主人が半ば冗談でお客様に言っていた「日本一のフィッシングホテル」、このことばをキャッ

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