SUIRYO 翠陵 vol.87
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神戸学院大学卒業後、サッカー指導者の道へ進んだ河村優さん。イタリアで武者修業するなど、グローバルな視点とチャレンジング精神を持ちながら、サッカーと共に人生を歩んできました。現在は、神戸学院大学のサッカー部の監督として、後輩の指導にあたっています。小学校から続けているサッカーへの熱い想いや、サッカー部の今後の目標などを語っていただきました。仲間に恵まれ、サッカー部では主将に神戸学院大学を選んだのは、広島県立広島観音高等学校時代のサッカー部の先輩が進学していたから。自分もサッカーを続けながら勉学に励みたい、サッカー部を1部リーグに導きたい。Jリーグが始まった頃だったので、プロアスリートを目指すこともできるのかも・・・、そんな思いを胸に神戸学院大学に入学しました。しかし、サッカー部に入部して「1部リーグに昇格したい」という思いを語ると少し笑いが起きました。当時は、今とは雰囲気も違っていて、そんな情熱的にやろうという感じではありませんでした。それでも、仲間には恵まれて、本当にサッカーが好きな仲間もいて、彼らとは高いレベルを目指す目標は一致していました。それまでは関西学生リーグの2部と3部を行ったり来たりしていたのですが、主将を務め、最終的には2部リーグの2位まで押し上げることができました。指導者もいなかったため、自分たちで練習メニューを考え、大変なこともありましたが、仲間が支えてくれたおかげで充実感はありました。04SUIRYO 87母校サッカー部が成長していく歴史を学生たちと共に創りたい教師からサッカー指導者へ方向転換大学時代は教師を目指して、教職課程を履修していました。小学校、中学校、高校とそれぞれで素晴らしい先生に巡り会うことができ、自身もその道に進みたいと強く思っていました。特に中学時代の先生は、私の性格をよく分かってくれて、生徒会に入るよう勧めてくれました。高校のサッカー部の監督も、厳しさの中にも温かみのある素晴らしい人でした。しかし、最終的には教師ではなくサッカーの指導者になる道を選びました。きっかけは、集英社のヤングジャンプという漫画雑誌。1997年、日本はまだワールドカップに出場できず、どうすれば世界と戦えるかを調査する「特派員記者募集」という記事を見て、応募しました。「日本チームは指導者が変わらなければならない、ストライカーがいないのが弱点だ」と指摘すると、特派員記者に選出され、イタリア、イングランド、フランスと三カ国を回り、多くの知識を得ることができました。神戸のサッカーチームであるFCフレスカでコーチをしていましたが、自分と同世代のJリーガーたちが活躍するのを見て、自分も何か武器を見つけなければと、2003年から4年間イタリアで武者修業をすることに。ペルージャ外国人大学で監督を1年間務め、他にも少年チームのU-12監督、イタリア遠征に参加するチームの通訳などを経て、イタリアサッカー協会公認のライセンスも取得しました。帰国後は他大学のヘッドコーチなどをしていたのですが、その間も母校のサッカー部の成績はずっと気になっていました。同窓生NOW!楽天ヴィッセル神戸株式会社1997年法学部卒業河村 優さんかわむらすぐる神戸学院大学卒業後、神戸のFCフレスカなどでコーチを歴任。イタリアへ指導者留学をし、イタリアサッカーの戦術を学ぶ。現在は楽天ヴィッセル神戸株式会社に所属、神戸学院大学サッカー部監督と非常勤講師も務める。

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