SUIRYO 翠陵 vol.87
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08SUIRYO 872022年8月5日の昼下がりに突然の豪雨。本日は当社発祥の地・広島の「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」でのスポンサードゲーム開催日、「中止になればお客さんに申し訳ない」と一瞬焦ったが、試合前には雨も上がり、驟雨は結果的に猛暑の打ち水となった。対戦相手は阪神タイガース、3年ぶりに規制のないゲーム開催となり、当日は3万人を超える大観衆。私のお役目は始球式で、通算3度目の登板。カープと当社とのご縁は当社が廣島証券と名乗っていた1957(昭和32)年の広島市民球場「フェンス広告」から始まる。その6年後、将来の業容拡大に備え、当社が資本金を2.5億円から6億円に増資しようとした時のこと、非上場企業であった当社が資本金を一挙に2.4倍にするにあたり、小口の個人株主に新株を引き受けて頂くのは困難だったため、資金に余裕のある法人に第三者割当増資を引き受けてもらうしか選択肢はなかった。当時、広島を代表する企業といえば東洋工業(現マツダ)。当社の創業者は、松田恒次社長(当時)との直談判を決意し、東京出張から戻る松田社長が乗車する特急に三原駅から乗り込み、アポなし交渉に及んだ。奇策は運よく成功、新筆頭株主の誕生と相成り、その後地元企業からの申し込みもあり、最終的に6億円を超える増資が成功したと聞いている。1971(昭和46)年、社内で「当社の将来を象徴する」新社名を公募することになり、「読み、書き、言い、聞き、覚えやすい」を選定基準に検討した結果、「東洋証券」が誕生した。駆け出し時代の当社を快く支援してくれた地元の雄・東洋工業と広島東洋カープを意識して、多数の社員が投票したと私は確信しており、そんなご縁もあり松田元オーナーとは親しくさせていただいている。カープは他11球団と異なり、親会社を持たない「12球団唯一の市民球団」。「これは」という選手をどこよりも早くマークし、自ら育て、去る選手は引き留めず、所定の予算で最大効果を生む経営戦略が評価され、コロナ前の2019年まで45年間黒字を続け、カープのファンは全国に広がっている。今年もゲーム直前、普段と変わらぬ穏やかな笑みを浮かべる松田元オーナーを執務室に訪ね「同じ東洋の名の下、選ばれる会社を目指す」と決意をお伝えした次第。さて、わが任務。阪神中野を左バッターボックスに迎え、ワインドアップモーションから投げたボールは曾澤捕手のキャッチャーミットにストライクで吸い込まれ、無事完了。神戸学院大学同窓会会長広島東洋カープとの絆BondingwithCarp東洋証券株式会社 代表取締役社長 桑原理哲

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