SUIRYO 翠陵 vol.88
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今のキャリアにつながる思いが芽生えたのは、中学生の頃。ホストファミリーとして訪日外国人を受け入れた経験から、当初は通訳になることも考えた中村祐美子さん。高校での進路選択の際、神戸学院大学法学部に国際関係法学科が新設されたことから入学を決めて留学も経験。その視野は世界へとますます広がることに。そして、国際的な利害関係や文化の違いを越えて国と国が相互理解と共存を図ることを目指し、今日までに延べ76か国160都市で活動してこられました。法律という視点で社会や世界を考えることを本学で学ぶ大学院在学中にJICAインターン生としてJICAラオス事務所に派遣され、卒業後の2000年に正式にラオス事務所で勤務を開始しました。当時のラオスでは、支援に入った国際機関が基本法ではなく、利害関係者が活動しやすくする目的の法律を作ったり、支援国が思い思いに法律の起草支援を行うことで、パッチワークのような有様になり現地の実情と合わなくなっていました。そこで日本としては人々の生活の基礎となる基本法の整備に焦点を当てた支援を行うことを決定しました。法律が社会に、それが人々の生活に直結しているという事実を現実として受け止めることができたのがこのときです。「大学で学んでいたことはそういうことだったんだ」と気づく機会を得ることにもなりました。思いを共有できたその瞬間に、国境や文化は越えられるODAの業務では、最も問題視される箇所を検証し、その解消に向けた活動を進めていくことになりますが、文化、慣習など生きてきた社会そのものが日本と異なることも多く、私たちが問題と思ったことが同じように問題として捉えられていないという現実に突き当たります。その09SUIRYO 88目標へ夢へと導くお手伝いを仕事としてような状況の中で、お互いが認識し合え、互いのことを分かり合えたとき、さらには、現地の政府関係者とともに作業するなかで、「中村、相談がある」と言われたときは、「やっと頼りにされる立場になった」「信用され始めたかな」と安堵感とともに大きな喜びを感じます。また、現地での活動や議論を通じて、長期間課題解決に取り組んでいくなか、相手国の関係者の気持ちがどんどん上向いていくのを目の輝きから見てとれることがあります。そんなときには、それまでの苦労や疲れが一気に吹き飛ぶのを感じます。世界を舞台に、日本の子供たちの未来を創るお手伝いODAには色々な意見があると思いますが、様々な国で問題解決にあたっていくことで、世界は今よりもっとよくなっていくそう信じています。そしてそれが、将来的には日本の安定に、言い換えれば日本の子供たちの将来の安定に結びついていくのだろうと考えています。そういう意味で、ODAは、単に途上国の社会や経済の発展を支援するに留まらないと言えると思います。日本が、日本であり続けるために、私たちが今やれること、やるべきことを世界を舞台に展開しているのがODAなら、許される限り、一生をかけて関わり続けていきたいと思っています。予想外の出来事から、コーチングを学ぶ機会を得るコーチングやメンタルトレーニングの資格を取得したのは、ラグビーワールドカップ2019日本大会招致で、釡石市から業務依頼を受けたことがきっかけとなりました。当時は震災後ということもあり、復旧の途上にある中での決定。数年後には、多くの外国人がやってくることが予想されていました。まずは、岩手県内で英語ができる人を集めて組織化して、訪日外国人に関わるさまざまな業務をチームご同窓生NOW!合同会社 適材適所 コンサルタントInnityCoaching & Consulting代表1998年法学部国際関係法学科卒業2000年法学研究科国際関係法学専攻修士課程修了 中村 祐美子さんなかむらゆみこ大学院修了後、開発途上国支援(ODA)のコンサルタント業務に従事。約10年の海外生活の後、拠点を日本(岩手花巻)に移す。ラグビーワールドカップ2019の仕事では人とのコミュニケーションのありかたを考えるきっかけとなり、コーチングスクールの門をたたく。その後、心理学や大脳生理学に基づくSBTの学びを得て、2019年からはメンタルコーチとしての活動もスタートさせる。

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