SUIRYO 翠陵 vol.88
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都会への憧れもあり、大学進学では富山を離れることに決めていたという能作千春さん。神戸学院大学を卒業後も、神戸でアパレル通販誌の編集者として社会人生活を送っていました。その3年目のある日のこと、センスが良く普段から憧れていた上司が、「神戸のセレクトショップでこんなの見つけた」と言って花形のトレーを見せてくれました。それこそは、家業である能作の錫製品でした。その日を転機に、能作入社へとなった経緯、父を継ぎ100年企業の5代目社長となった今日に至るまでの日々を語っていただきました。神戸で、予期せず運命が交差した日当時の能作は、まだ小さな鋳物工場でした。それが、センスあふれる神戸のセレクトショップにまで製品を展開していることに感動していました。能作のオリジナルデザインとして父が作った真鍮製のハンドベルが、ニューヨーク近代美術館の販売品に認定された2008年は、それより以前のこと。私が社会人として歩み始めようとしていた矢先、すでに父は能作の仕事で飛躍し始めていたのでした。神戸で、父の仕事を実際に目にしたその瞬間に、ようやく自分の思いと父がやっていることが結びつき、転機となりました。父は、仕事をしていない日はないぐらい、朝は5時から夜は12時を超えるまで仕事に没頭している人でした。子どもの頃の私は、母もいる工場の事務所で宿題をし、休みの日も気がつくと工場を遊び場にしていました。仕事に対して情熱的で、何より楽しそうな父の姿から、仕事は楽しいものということを教えられたのはその時です。05SUIRYO 88「もの」づくりを通して伝える「こころ」と、五感で知る、学ぶ、楽しむ「こと」父から受け継ぎ育んできたものに気づく新卒の頃、父のことを誇らしく思うことはあっても、子どもの頃の工場のイメージがあって家業を恥ずかしく思っていました。セレクトショップでの一件で能作の娘と知られてからは、新作のカタログができると周囲に配ったり、仕事先で家業の話をするようになり、それが楽しくて仕方がありませんでした。今、工場はどうなっているんだろうとまで考えるようになり「夏の有給休暇を利用して帰るから、工場も見てみたい」と父に伝え、職人さんたちとのバーベキュー大会に飛び入り参加させてもらいました。そこにはやはり、ものづくりについて仕事の話を楽しくかつ熱く議論している父の姿がありました。父が昔から何も変わらず、真剣に製品と向き合い楽しんで仕事をしているのだなと思うと、父が夢中になっている能作の仕事の魅力をもっと知りたい、私も仲間に加わって父の隣で仕事をしたいと思うようになったのです。この日をきっかけに、私は自分の将来について深く考えるようになりました。父との二人三脚が始まり、さらには三人四脚へ新聞社のフォトグラファーを3年勤めた父は、婿入りして能作の名前とともに会社を引き継ぎました。異業種から職人の世界に入り、職人として18年のキャリアを経て、産地の問屋から高い評価を得るようになりました。さらには、デザインスキルと技術力を融合させてユーザーに直接届く製品を作るまでになっていきました。「能作に入社していいですか?」と父に電話したとき返ってきたのは「いいんじゃない」の一言。あとで、自分で言ってきてくれたことが嬉しかったと聞き、ここでもまた、私から決心を伝えるのを待ってくれていた人がいたんだと思いました。父との二人三脚が始まり、2年後には夫も能作に入り同窓生NOW!株式会社能作2008年人文学部卒業能作 千春さんのうさくちはる神戸学院大学卒業後、神戸市内のアパレル関連会社で通販誌の編集に携わる。3年後の2011年に家業である株式会社能作に入社。2017年の新社屋移転を機に産業観光部長として新規事業を立ち上げる。2023年3月20日、代表取締役社長に就任。

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