1.「忙しいから」が断る理由にならなかったあの時九州における同窓会活動の幕開けは、一本の電話から始まりました。電話の主は、在学当時に学生課に在籍し、卒業後も親交の深かった大学職員の大西哲夫氏。1980年代の終わり、仕事の第一線で多忙な日々を送っていた草刈氏のもとに、運命の打診が届きます。「『同窓会の福岡支部設立をきみに任せたい』。そう言われた時は驚きました。正直に言えば、仕事が忙しい時期でしたので、その場でお断りしたんです。ところが大西さんは諦めなかった。『だからきみに頼みたいんだ。忙しい者にこそ頼みたい。暇な者に頼んでも、いい仕事はできない』という独自の持論で説得されました。そこまで言われては、もう断る言葉がありませんでした。」 草刈氏は意を決し、一学年下で大学祭中央実行委員会の委員長を務めていた花田氏に協力を要請。二人三脚での挑戦が始まりました。当時はまだ京都府支部が活動を開始したばかりで、大学でも同窓会でも、支部の存在意義が十分に浸透していない時代。同窓会初代会長の奥藤氏から受け取った名簿を頼りに、郵送と電話による勧誘活動が続けられました。現支部長の村井氏は、当時の様子をこう語ります。「今年の支部総会で、立ち上げに尽力された瀬戸さんから当時の苦労話を伺いました。手分けして一軒一軒電話をかけ、見ず知らずの卒業生に趣旨を説明する。今のように個人情報保護が厳格ではなかった時代とはいえ、その労力と精神力は並大抵のものではなかったはずです。」 草刈氏にとって、同じく支部設立の壁に突き当たっていた京都府支部の三宅孝幸氏は、戦友のような存在でした。「大学職員である大西さんの強力なバックアップがあった私に比べ、三宅さんは本部との折衝で大変な苦労をされていました。設立間もない支部同士、『共同戦線を張って頑張ろう』と励まし合ったことを今でも鮮明に覚えています。」 2.輪番制、ドーム開催、そして「九州支部」への進化1992年、福岡市の全日空ホテル(当時)で開催された第1回支部総会。ここから、九州独自の工夫に満ちた運営が始まります。草刈氏は当初から、福岡一極集中を避けるために北九州との「輪番制」を提案。より多くの卒業生が参加しやすい環境づくりを模索しました。「1989年にダイエーホークスが福岡に移転し、卒業生に球団常務の方がいたご縁で、ドーム球場を総会の会場にしたこともありました。カジュアルな服装で、お子さん連れでも楽しめる。そんな『新しい同窓会のカタチ』を追求したんです。福岡のテーマパークであるスペースワールド(2017年閉園)で開催したこともありましたが、常に『どうすれば人が集まり、盛り上がるか』を考え続けていました。」2012年、福岡県支部は「九州支部」へと改称し、管轄を九州全域へと拡大します。しかし、広大なエリアをカバーするには、事務局の体制や人員不足といった課題が常に付きまといました。「九州をブロック分けする案や、各県に支部を作り、福岡の支部長が全体を統括する案など、いろいろな構想を練りましたが、実現には至りませんでした。九州全域を一つにまとめることの難しさを常に感じていました。」 その意思を継ぐ村井氏も、かつて熊本での支部立ち上げに携わった経験を持ちます。「約10年前、熊本での支部設立に動いていましたが、自身の異動で立ち消えになってしまった苦い経験があります。しかし、その時の繋がりが今に生きています。2025年に、熊本で野球部出身者を中心とした交流会を開催したところ、女性会員を含め多くの仲間が集まりました。オンラインで当時の中村恵学長にもご参加いただき、かつての強固な絆が今も生きていることを実感しました。」 取材の合間に駆けつけた九州支部推薦幹事の山本氏(薬学部卒・写真右)も交えて。世代を超えた絆の深さが九州支部の強み。25SUIRYO 90 同窓会設立50周年記念誌 発行特別企画
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