SANO MITSUHIKO35SUIRYO 90「先生の専門はなんですか」。研究者・大学教員としての活動が多分野にわたり、リハビリテーション、バングラデシュ、まちづくり、さらには3Dプリンターを用いた自助具製作まで、佐野光彦教授を彩るワードは実に多彩です。その一見して境界のない活動の根底には、本学法学部の学生であった頃に培われた情熱と、恩師から学んだ「一人学際」の精神が今も脈々と流れています。母校の総合リハビリテーション学部長を務める佐野先生。今回、教え子であり同窓会大阪府支部副支部長でもある市田響さんを交え、議論に明け暮れた学生時代の思い出から、バングラデシュの路上で目にした社会の現実、そして「社会を良くしていこう」という強い決意に至るまでの軌跡を辿りました。「何一つ無駄なことはなかった」と語る佐野学部長の言葉から、これからの医療・福祉を担う後輩たち、そして全国で活躍する卒業生へ向けた熱いメッセージをお届けします。■ 議論の熱狂の中にいた学生時代2025年4月、私は母校である神戸学院大学の総合リハビリテーション学部長という大役を仰せつかりました。改めて自身の歩みを振り返るとき、その原点は、間違いなく1980年代の有瀬キャンパス、法学部生としての学び舎にあります。当時の私の周りには、いつも8人ほどの熱い学友がいました。私たちは講義が終わると、誰からともなく集まり、世界の政治状況や社会の矛盾について、時間を忘れて議論を戦わせていました。大学の授業も熱心に受けましたが、それ以上に、自ら調べ、考え、仲間とぶつかり合う。あの知的な熱狂こそが、私の「学び」の原体験です。もっと深くこの世界を知りたい。その一心で大学院へと進みました。恩師である谷口弘行教授のもと、研究室で夜10時半まで議論し、さらに場所を変えて語り明かす日々。谷口先生から学んだ「国際関係論」は、単なる政治学だけではありませんでした。経済、文化、歴史、そして人の営み……あらゆる角度から事象を捉える「一人学際」とも言える多角的な視点。それが、今の私の血肉となっています。■ 激動の世界と「行動」への衝動修士課程を終えた後、私は私立高校の教員になりました。しかし、教壇に立って3年目、世界は激動の時を迎えます。1989年、天安門事件が起き、ベルリンの壁が崩壊しました。テレビに映し出される歴史の転換点を前に、私はじっとしていられなくなりました。「世界がこれほど動いているのに、自分はここで何をしているのか。もう一度、現場から世界を学び直さなければならない」。その衝動に突き動かされるように、私は再び母校の博士課程へと戻りました。2008年に法学博士号を取得するまでの道程は決して平坦ではありませんでしたが、常に「自分の目で見て、行動する」という信念が私を支えていました。■ バングラデシュの路上で見出した使命私の研究対象となったのは、バングラデシュの政治でした。現地での調査は、まさに体当たりです。言葉の壁はありましたが、「気持ちで負けない」と自分に言い聞かせ、いきなり政治家宅を訪ねたり、高級官僚が公園を散歩していると聞けば待ち伏せしてインタビューを敢行したり。そんな破天荒なアプローチ母校の風に背中を押されて ―― 境界を越え、人を繋ぐ「総合リハビリテーション」への旅路1986年度神戸学院大学法学部法律学科卒業。2007年度同大学院法学研究科博士後期課程修了(法学博士)。私立高校教員を経て2010年より母校で教壇に立つ。専門は国際関係論、地域研究。バングラデシュを中心とした開発途上国の貧困や障がい者支援、地域に根ざしたリハビリテーション(CBR)を研究。2025年4月、総合リハビリテーション学部長に就任。PROFILE佐野 光彦さのみつひこTOPICS 2025年4月総合リハビリテーション学部学部長就任
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