2025年4月 新GMに就任、課題克服から手応えを掴むための2年目へアメリカカレッジフットボールに魅せられたあの日から私とアメリカンフットボールの出合いは、半世紀近く前の高校時代に遡ります。当時は地元テレビ局で放送されていた「アメリカカレッジフットボール」を毎週欠かさず視聴しており、そのダイナミックな動きと戦略性に、言葉では言い表せない魅力を感じていました。実は高校時代、私はバレーボール部に所属するセッターでした。アタッカーへ正確にボールを供給し、相手のブロックを揺さぶる作戦を組み立てる――その動きに目を留めたのが、母校にアメフト部を創設しようとしていた日本体育大学出身の恩師でした。「セッターとしてのボールコントロールの精度は、クォーターバック(QB)のパスに必ず生きる」。そう言って日体大への進学を強く勧められたのです。しかし、当時、家族も私も東京へ行くことへの迷いがありました。結果として、ご縁があった神戸学院大学へ入学することになったのですが、驚いたことに、私とアメリカンフットボールをつないでくださったこの恩師は、本学のアメリカンフットボール部の創設にも深く関わっておられたのです。運命に導かれるようにして私はアメリカンフットボー39SUIRYO 90母校の後輩たちにとって 最も近い相談相手でありたいル部に入部し、憧れの世界へと足を踏み入れました。選手として過ごした4年間、4年次生の時には念願だった最高峰の1部リーグでプレーをし、勝つことは叶わなかったけど、その経験は今も貴重な財産となっています。1部リーグでの1勝、これからの選手たちにその夢を託したいと強く願っています。空白の時間を埋めたのは、同期生の絆卒業後は仕事が忙しく、アメリカンフットボール部や大学の行事からは足が遠のいていました。競技から離れて過ごす日々が続いていたある時、転機が訪れます。約10年前、同期生がアメリカンフットボール部のOB会長に就任することになり、「一緒に役員をやってくれないか」と声をかけられたのです。これをきっかけに、私の中で止まっていたアメリカンフットボールとの時計が再び動き出しました。OB会の運営に携わる中で、母校への思いが再燃し、OB会からの推薦を受けて、2025年4月よりアメリカンフットボール部の新GM(ゼネラルマネージャー)という重責を担うことになりました。母校に戻って感じたのは、今の学生たちの真摯な姿勢と、一方で抱えている課題の大きさです。現在はアメリカンフットボール経験者が少なく、いかにして身体能力の高同窓生NOW!アメリカンフットボール部GM経済学部 経済学科1979年度卒久保田 豊さんくぼたゆたか
元のページ ../index.html#40